●ALTERNATION 2●
京田さんがお父さんの弟子になったのは、プロ試験の最終日。
彼が16歳、高校1年の秋だった。
以来、先に弟子になっていたお兄ちゃんと三人で研究会を行って来た。
「京田君、思った以上に筋がいいな」
「そうなのか?」
昔、お父さんがお母さんに話しているのを偶然耳にしたことがある。
弟子になって一年くらい経った後だっただろうか。
「うん。碁を始めたのが遅いせいもあるのかな、吸収力も半端ないし。まだまだ伸びそう」
「へぇ…」
「将来タイトルの一つくらい取るかもな、佐為から」
「佐為から?僕らじゃなくて?」
当時はお父さんが棋聖と本因坊、お母さんが名人と王座を保持していた。
お兄ちゃんはまだ入段して数ヶ月の新人棋士だった。
「うん、佐為から。遅かれ早かれ……オレらはきっとタイトルを全部アイツに取られちまうだろうから。ま、世代交代って奴だな」
「……キミはそれでいいんだ?」
「よくねーよ!簡単に渡してたまるもんか!」
「ふふ…そうだね。世代交代はいずれ必ず来るものだけど、僕らも踏ん張らないとね」
「ああ」
踏ん張った結果――3年後に緒方先生は2勝3敗で敗れ。
お母さんは3勝4敗で敗れ。
お父さんは1勝3敗で敗れた。
お父さんの予想は私達が思ってた以上に早く当たってしまったのだ。
じゃあ、『将来タイトルの一つくらい取るかもな、佐為から』の予言は果たして当たるのだろうか――
3の十で京田さんが仕掛けて来た。
彼得意の妙手だ。
もちろんお兄ちゃんが読み切るのは難しくないと思うけど、問題は持ち時間だ。
十段戦は持ち時間が3時間しかなく、既に2時間を消費してしまっているお兄ちゃん。
この妙手への対応に時間をかけすぎると、終盤を一分碁で乗り切らなければならなくなる。
もしかしたら京田さんにいい流れが来た?
「………6の八」
目の前に座っていた精菜がボソリと呟いた。
その後すぐ、お兄ちゃんも同じ6の八を打った。
どうやら打開策を見つけたらしい。
あまりにも簡単に勝負手を見破られてしまって、また京田さんが長考に沈んだ。
「……精菜、今、しれっとお兄ちゃんより先に解いたでしょ?」
「…え?何のこと?」
ニコリと彼女が笑う。
しらばっくれる。
(怖いなぁ……)
両親が言っていた、いずれ必ず来る世代交代――それは女流も例外ではないのかもしれない。
今はお母さんの独壇場だけど、いずれはこの精菜の時代が来るのかもしれない。
確信とまではいかないけど……そんな予感がした。
「精菜……京田さんはお兄ちゃんに勝てると思う?」
「え?」
「正直に言っていいよ…」
「……いいの?」
「うん…」
私は現タイトルホルダーの恋人に願望を聞いてるわけじゃない。
一人の将来有望な若手棋士に、公平な目線でこの十段戦の行方を聞いてみたのだ。
「勝てないと思う」
「……そっか」
「差が有りすぎる。3-0のストレートで負けると思う」
「……そうなんだ」
「でも、それは今の話だよ。数年後は分からない。いつか……佐為からタイトル奪取するかもね。その素質は充分あるよね」
「……へぇ?」
「お世話じゃないよ。だって、佐為自身がそう思ってるんだから」
――え?
「彩だって知ってるでしょう?佐為が進藤門下の研究会に、京田さん以外いまだに誰も入れてないことを」
「うん……そりゃあ」
「京田さんは佐為にとって特別なんだよ。家で一緒に研究してもいいくらいに」
「……」
「でもって、大事な妹をあげてもいいと思うほどにね」
「……へ?!」
精菜にウインクされて、私の顔はたちまち赤くなった。
「彩が好きになったのがもし変な奴だったら、絶対佐為が邪魔してたと思うよ」
「は?!何それ…!誰を好きになろうが私の勝手でしょ?!」
「そうだね。でもああ見えて佐為は彩のこと大事に思ってるし、心配もしてるから」
「……シスコン?」
「無自覚だとは思うけどね」
精菜がクスクス笑った。
京田さんだからお兄ちゃんは許してくれたらしい。
でも、私だって…同じだよ。
(精菜だから許したの……)
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