●ALTERNATION 1●
どの時代も起きる『世代交代』――
お兄ちゃんが緒方先生から十段のタイトルを奪取したのを皮切りに、突如それは始まった。
窪田先生が8月に芹澤先生から碁聖を。
お兄ちゃんが11月にお母さんから名人を。
更に12月にお父さんから王座を。
そして今、その世代交代を象徴するタイトル戦が始まろうとしている――
第61期・十段戦挑戦手合五番勝負、第一局。
都内のホテルで行われるその対局を近くで見守る為に、私は精菜と共に会場を訪れた。
もちろん対局室は入れないので、近くに準備されている棋士用の検討室を覗いてみる。
「げ……マスコミ多すぎ」
中は棋士以上にマスコミでごった返していた。
当然と言えば当然である。
現在十段を保持しているのは三冠であるお兄ちゃんで、自身初のタイトル防衛がかかってるからだ。
(つまり最年少タイトル防衛の記録がかかっているのだ…)
まもなく対局者二人が入室するとのことで、部屋の各所に配置されているモニター前に人が集まり出した。
私と精菜も一番空いてるモニターの前に移動して、一緒に覗かせて貰う。
立会人の乃木先生、副立会の伊角先生、主催新聞社の役員、記録係の4人しかまだ映っていない対局室の映像。
そして10分前になって先に入室したのが挑戦者である京田さん――京田昭彦七段だった。
(きゃー)
続いてすぐにタイトルホルダーのお兄ちゃん――進藤佐為十段も入ってきて、二人は碁盤を挟んで向かいあった。
まだ18歳と21歳の兄弟弟子対決となった今回の十段戦は、まさに世代交代を象徴するタイトル戦となったのだ。
「ダメ、もう見てられない…っ」
「彩ったら…。まだニギってもないよ?」
「だって〜〜」
恋人の初のタイトル戦を平常心で観戦出来る人なんて、この世にいるのだろうか?
でも精菜はいつも通りで何か悔しい…。
さすが自身も女流のタイトル戦を何回も挑戦してるだけのことはある。
「佐為が先番に決まったね」
「う、うん…」
立会人の合図で行われたニギリの結果、お兄ちゃんが先手に決まった。
そして9時半ピッタリに対局がスタートした。
パチッ
お兄ちゃんが1手目――17の四を打つと、とてつもないシャッター音がモニター越しに鳴り響く。
直ぐ様京田さんが2手目――4の四を打つ。
序盤の研究には定評がある二人。
サクサクと早い進行で進んでいく。
「京田さん、落ち着いてるね」
「うん……よかった」
出だしは順調。
後はただ見守るだけだ。
この検討室に数多く用意されている碁盤。
私と精菜も一つ借りて、並べていくことにした。
「でも何か今でも信じられないなぁ…、京田さんが挑戦者になるなんて」
「彩ったら…」
精菜に「京田さんにそれ言っちゃダメだよ?」と苦笑いされる。
でも彼自身がそう言っていたのだ。
年が明けてすぐに行われた準決勝で倉田先生に勝利し、更に決勝でお母さんに勝利した京田さん。
挑戦者に決まった彼は、マスコミの前では真面目な模範解答をしていたけれど。
翌日、私が彼に会いに行くと、「夢みたいだよ」と正直な気持ちを打ち明けてくれたのだ――
「もちろん今の進藤君に番勝負で勝てる気はしないけどね」
「京田さん…」
「でも簡単にやられるつもりはないから。粘れるだけ粘ってやるよ」
「うん…そうだね。頑張って…」
「彩ちゃんはどっちを応援する気?」
「そんなの、聞くまでもないでしょ?」
兄か恋人か。
応援するのはもちろん――恋人である京田さんに決まっている。
「頑張って…」
「ありがとう…」
キスをして、そのまま私達は熱い夜を過ごしたのだった――
「あ。彩ったら思い出し笑いしてる。エッチなんだから」
「え〜だってだって〜」
思い出してニマニマしてたら精菜に突っ込まれてしまった。
でも進んでいく盤面を改めて見ると、そんな笑みは一瞬で消えてしまう。
「外側の白が思いのほか薄いね。誤算があったのかも…」
「うん……」
「AIの推奨は5の十一だって」
「うん……人間の手じゃないね」
でもその人間の手じゃない最強の一手を、お兄ちゃんは迷わず選択した。
会場中がその瞬間にワッと盛り上がる。
きっとこの会場のほとんどがお兄ちゃんの応援だ。
マスコミは100%。
棋士は片方の肩を持つことはしないけど、皆本音ではきっとお兄ちゃんが勝つと思っているだろう。
こんな人間技じゃない手を普通に打ってくるお兄ちゃんに勝てる訳がないと、誰もがきっと思っている。
きっと――京田さん自身も例外じゃない。
モニターには盤面以外に、対局者の映像ももちろん映っている。
難しい顔をして京田さんが盤面を睨んでいた。
一方のお兄ちゃんも、閉じた扇子を顎に押し当てた状態でヨミ耽っていた。
「お兄ちゃん…きっと恐ろしく先まで読んでるんだろうなぁ…」
「ふふ。扇子を顎に当てるのは、読んでる時の佐為の癖だよね」
「うん…」
今のお兄ちゃんのヨミの力は現代最強とも称されたお父さんに勝るとも劣らない。
且つ、お母さんの様な力強くて手厚い碁も打ってくる。
この最強の掛け合わせであるお兄ちゃんから、タイトルを奪取出来る人なんかいるんだろうか……
「あ、京田さん仕掛けて来たね」
精菜のその言葉に、私は顔を上げた――
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