●CHILDHOOD FRIEND 1●


「ヒカル君ね、今度結婚するんですって」

「え……」


母からそう伝えられたのは高校3年の夏休みだった。

その瞬間――私の中にあった僅かな希望が…消えてしまった―。


「残念だわ〜。あかりと上手くいってくれないかしらって、ちょっと期待してたのに」

「お母さん何言って…。私、ヒカルとはもう2年ぐらい話もしてないんだよ?」


元々プロになってから学校を休みがちだったヒカル。

中学3年の時はクラスも離れちゃったから話す機会も少なくなった。

卒業してからは全く音沙汰なし。

一度高校まで指導碁に来てくれたけど、約束はメールでしたし、指導碁の後もヒカルは用があるからってすぐに帰っちゃった。

寂しかったな…。

私の中でヒカルは幼馴染み以上の、特別な存在だったから―。

ずっと…

ずっと…

小学生の頃から―。


「ヒカル…、誰と結婚するの…?」

「何ていう名前だったかしら。美津子ちゃんにちゃんと聞いたんだけど…。同じ囲碁のプロの方らしくてね、えーと…」

「塔矢…アキラ?」

「そうそう、そんな感じの名前だったわ」



やっぱり…。



ヒカルが塔矢さんを気にしていたのは十も百も承知。

だって…ヒカルが院生になったのも、プロになったのも塔矢さんを追う為でしょう?

ずっとヒカルの目標で、ライバルだったもんね。

でも、それでも、ライバルはライバル。

そういう関係にはならない、なってほしくない!って心の中で思ってた。


でも……なっちゃった。

恋人どころか結婚するところまで発展しちゃった…。


私の負けだね。

告白も何もしないで、ずっと片思いのまま夢見てた私の負け。


…いいもん。

私だって大学に行ったら、ヒカル以上の素敵な男性を見つけてやるんだから!


そう思った後、私は死に物狂いで勉強して、見事第一志望だったS大に合格した。

その直後だったかな。

ヒカルが史上最年少で名人位を取ったのは。

週刊碁を含む囲碁雑誌はもちろん、新聞でも大きく取り上げられ、テレビのニュースでもその様子は放送された。

私も自分のことのように嬉しくて、ヒカルにお祝いメールを送ったんだ。


…だけど返事が来たのは3日後。

『サンキュー』

と一言だけ。

素っ気ないよね…。

ヒカルの中で私の存在はもう消えてるのかも。

でも、だからこそ増々諦めがついた。


大学は入ってからは、吹っ切れたように積極的に友達を作った。

色んなタイプの、男の子も女の子もたくさん。

サークルにも入ったし、学部自体が理系だったこともあって、出会いだけはたくさんあった。

何人からも告白もされたし、その中の一人と今も付き合っている。



あのお母さんからヒカルの結婚を聞かされた時から、既に2年が経とうとしていた―。





「来週の土日さ、川崎で夏祭りがあるんだって。一緒に行かない?」

「土曜なら大丈夫かな」

「日曜は?俺土曜バイト入ってるんだけど」

「日曜は囲碁サークルの皆で買い物に行くつもりなの」

付き合って1年になる彼は、その囲碁サークルという言葉に眉を傾けた。

「あかりってさ、テニスサークルにも入ってたよね?ま、テニスは分かるんだけど、何で囲碁?あかりに似合わないよ」

「囲碁楽しいよ?和哉君もやってみたら?」

「また定年退職した後にな」

はははと笑われてしまった。


囲碁はお年寄りがする遊び。

それが世間一般の囲碁に対するイメージだ。

この彼も例外ではなく、私が囲碁の話をする度につまらなそうな顔をしてくる。

顔も私好みだし、頭もそれなりだし、身長も高いし、優しいし、まじめだし、友達から言わせれば最高の彼じゃん!…らしい。

だけど、囲碁のことを理解してくれない点が私には不満。

そりゃ私だってヒカルが影響で始めた囲碁を今でもずるずるしてるのは変な気がする。

でも中学・高校とずっとしてきて、もう私にとってはなくてはならない存在になってるんだ。

それにね…

囲碁サークルの子がたまにヒカルの話をしてくるのがすっごく嬉しい。

棋士としてのヒカル。

プロとしてのヒカル。

名人としてのヒカル。

そんなヒカルの話をするのも楽しいけど、皆が知ってるそれ以前のヒカルを私だけは知ってるんだって……自慢出来るし。

幼馴染みなんだ…って。

実際にはもうほとんど縁はないのにね…。


「じゃあシフト変えてもらうから、土曜な。夕方の5時頃に家まで迎えに行くよ」

「ありがとう」

ニッコリ笑うと、彼も笑ってくれた。

優しいな…。

私にはもったいないぐらいの人。

和哉君知ってる?

私はあなたを裏切ってるんだよ?

口では何とでも言っても、やっぱり心の奥にはヒカルの存在があるの。

あなたをいつも比べちゃうの。

ごめんね…。

さっさと忘れたいのにね…。

どうしても忘れれないの…。



「すっごい人!」

土曜日――

約束通り私は彼と夏祭りに出かけた。

会場は予想以上の人出で、身動きがなかなか取れないぐらいだった。

でもお祭り自体はすっごく楽しい。

この為に新調した浴衣を着て、髪も美容師のお姉ちゃんに綺麗に結ってもらって、カッコよくて優しい彼と手を繋いで出店を回るの。

すっごく幸せ!

「何か食べたいものある?」

「うーんとね、かき氷!イチゴがいいな♪」

甘えた声でそう言うと彼が

「じゃあ買ってくるからここで待ってて」

と人混みの中に消えていった。

たぶんさっき通ったかき氷のあたりは一番人が溢れかえってて、二人より一人で行った方が早いと思ったんだろうな。

それに慣れない下駄で歩き回って、少しヨタヨタ歩きになってる私を思いやってくれたのかも。

正直言ってこれ以上歩くのはキツい…。

ふと横を見ると、ちょうどベンチ代わりになりそうな石垣があった。

彼が帰ってくるまであすこで休んでいよう…。

そう思って道を横切ったその瞬間だった――



ドンッ



「きゃっ!」

人にぶつかって思わず倒れそうになった。

「危ねっ!」

後ろにいた人が咄嗟に私を支えてくれた。

「大丈夫?」

「はい、ありがとうございま…」



えっ?!



「ヒカルっ?!」

「え?…あかり?」


そう、支えてくれたのは紛れもなくあのヒカルだった――。










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