●FEMALE+β 1●


――2月


早くも名人位防衛の時期がやってきた。

この七番勝負は数日おきにそれぞれ別会場で行われる。

ちなみに去年緒方さんにオレが挑戦した時は、札幌、宇都宮、岐阜、京都、城崎、松山…と移動だけでもかなり大変だった。

一戦一戦が終わる度にすぐ東京に戻ってきたとはいえ、愛する妻と我が子になかなか会えないあの寂しさは、今思い出しただけでもゾッとする。

しかもアキラは現在妊娠8ヶ月。

この大変な時期に防衛に向かわなくてはならないのは、死のロード同然の気分だった。

だが、先月の中旬に行われた挑戦者決定プレーオフの一戦で事態が急変した。

なんと今年の挑戦者はアキラになったのだ!

それによって死のロードに思えたこの七番勝負が、一気に花のロードに変わったような気がした。

これからどちらかが先に4勝するまでずっとアキラと一緒に移動。

考えただけでも楽しみになってくる。

もちろん負ける気はないけどな!



そして今日は第一戦目・前日。

オレ達は明日の対局に向けて、昨日から会場であるこの半島ホテルに来ている。


――そう

今年の第一戦は香港だ。



カチャ


「ただいま〜。アーケードでチョコ買って来ちゃった」

地下のホテルショップで、お気に入りのチョコレートとクッキーを買ってきたアキラは、早速ウキウキと紅茶を入れ始めた。

「オマエって甘い物好きだったっけ?」

「んー、そんなことないんだけど、何だか最近無性に食べたくて。お腹の子が欲しがってるのかも」

「ははっ、やっぱ女の子だからかな」

「あ、今動いたよ」

「マジ?どれどれ」

後ろから抱き締めるように、アキラのお腹を優しく撫でてみた。

「おー、本当だ。チョコ欲しがってるぞ」

「やっぱり?」

お互い顔を見合わせて笑ってしまった。


「じゃあいただきまーす」

「オレも1個も〜らい♪」

20個詰の箱の中から、凝りに凝ったデコレーションのやつを摘んだ。

アキラも美味しそうに口にしている。

「後で一緒にロビー行こう。アフタヌーンティーもしたいんだ」


…まだ食べるのか。


「今夜前夜祭もあるのに太っても知らないぜ?」

「あんなの挨拶挨拶でろくに食べれないよ。どうせ立食だろう?」

「ま、それもそうだな」

「あ、糖朝でスイーツも食べなきゃ」


…おーい。


オレの奥さんは普段碁ばかり打って引きこもってるせいか、外国に来ると急にアクティブになる。

反対にオレはなるべくホテルに引きこもる。

…だって言葉が全然分かんねーんだもん。

英語でさえサッパリ。

中1で既に0点を取ったオレは日本語以外お手上げ状態だ。

でもその分アキラがペラペラしゃべってくれるので、こいつと旅行するのはすごく楽しい。

こういう時、頭のいい奥さんを貰って良かったとつくづく思う。


「…佐為元気にしてるかな」

「大丈夫だろ。既にアイツ、お祖父ちゃんお祖母ちゃん子だし」

実はあまりにオレらが先生と明子さんに預けすぎたせいで、すっかり佐為は二人に懐いてしまっていた。

もちろん今回も連れていくわけにはいかないので預かってもらうことになったんだけど……なんと6日も会えないのに佐為は笑顔でオレらにバイバイしてきたんだ。

…正直複雑…。

普通ゴネたり泣いたりするだろ…。

まぁ…1歳ちょっとじゃまだよく分かってないのかもしれねぇけど―。


「お母さん達にはちょっとお土産奮発しないとね」

「だな。帰る前にギャレリア覗いてみるか」

でも佐為がいない分、オレら二人はまるで新婚旅行気分を味わっている。

二人で同じ場所に遠征なんて滅多にあるわけじゃないし、この機会にたっぷり夫婦の時間を過ごさせてもらおう。

現在妊娠中のアキラを抱くことが出来ない分、気持ち的に愛を育むいいチャンスだ。


「ヒカル、ロビー行く前にアーケードとランドマークで買い物しない?」

「え?さっき行ったんじゃ…」

「さっきはお菓子を買っただけだ。今度は鞄とかアクセサリーとか見たいな〜なんて」

「…はいはい」


…やっぱりアキラも女だな…。


「あ、パシフィック・プレイスも行こうね」

「…遠いし」

「地下鉄で一駅じゃないか!」

「…はいはい」


その後何軒もブティックをハシゴされて、自分の分のみならずオレの分や佐為の分まで買い始めたので、終いには持ち切れず、ホテルの部屋まで届けてもらったのは言うまでもない。

でもアキラは日頃のストレスを発散したように、ロビーに着いた頃にはサッパリとした可愛い顔になっていたので、取りあえずヨシとしよう。



「前夜祭は18時からだった?」

「そうだぜ。まだ午後4時回ったばかりだし、これ食べ終わって準備したらちょうどいい頃だろ」


アキラが注文したアフタヌーンティーはいかにも!という感じの3段トレイで出てきた。

サンドウィッチ、スコーン、マフィン、ケーキ…と量的にもかなり多い。

「あ、このケーキ上手いかも」

「本当?後で買っていこうっと♪」

「はは…」


まだ食べる気か?!


また動いたのかアキラがお腹を撫で始めた。

「なぁ…オマエ今回はいつから産休取るんだ?」

「んー、予定日が5月3日だから4月半ばまでには休みに入りたいんだけど…様子見ながら決めるよ」


5月3日か…。


「早産だけにはならないことを祈っておくしかないな。対局中に産気づくのだけは避けたい」

「……」

「…ヒカル?どうかした?」

「ん?あ、いや…たぶんその子…、生まれるの予定日より遅れるぜ」

「え?」

「5月5日に生まれる気がする」

「どうして?子供の日だから?」

「いいや、だってオレの子だからな」

「……?」

自信満々にそう言うと、アキラは意味が分からないという顔をした。

ま、当然だけど。

5月5日は幽霊の佐為がオレの前から姿を消した日なんだぜ。

だからその日に生まれる。

そんな気がする。



いつかオマエにもちゃんと話すからな…。











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