●2nd FEMALE + 9●


ガバッと振り返るとアキラの姿があった。

「オマエもう帰ってきたのか…?早過ぎねェ?」

「タオル忘れたんだよ」

「あ、ホントだ…」

机の上に置きっ放しだったタオルをアキラに手渡した。

「…で、何謝ってたんだ?」

「な、何でもねーよ!」

「ふぅん…」

怪訝そうな顔でオレを見下ろしている。


「…キミって相変わらず秘密主義だよね」

「…そ、そうか?」

「大事なことを何にも話してくれない…。一人で勝手に決めて…突っ走って―」

「……ごめん」

アキラの顔が徐々に泣き出しそうになっている。

「僕って……キミの何…?」

「え…?」

オレの方をキッと睨んで、背を向け、ドアに走り出した。

「待てよっ…!」

慌てて追いかけて、アキラの腕を掴んだ。

「離せっ!」

「嫌だっ!オマエはオレの妻だろ?!なに分かりきったこと聞いてんだよ!」

「……」

「…ごめん。さっきのは話すほどのことじゃなかったから…、ただの俺の悲観妄想だし―」

「…悲観?」

「うん…、俺がいた場合といなかった場合の…オマエの人生の違いを考えてたら……いなかった方がオマエには幸せだったのかなぁ…て―」

アキラの顔から一気に血の気が引いていくのがハッキリ見て取れた。

「嫌だっ…!キミのいない碁界なんてつまらないっ!」



は?



何か…今、ものすごくオレらの考えに相違を感じた気がしたんだけど…。

「また打たないとか言い出すんじゃないだろうな?!」

「い、言わねぇよ!」

「なら…いいんだ」

何だよ…明らかにホッとした顔をしやがって。

オレの価値って碁だけなのかよ?!


「…なに?」

「別に〜。オマエが夫としてのオレの価値を認めてくれないからさ〜」

「夫としての…?」

「どうせオレは『立派な夫』には程遠いですよ!、だ!」

きっと『あなた』なんて一生呼んでくれないんだ…。

「そんなことないよ。キミは立派に働いてくれてるし……まぁ僕の方がまだ収入の面では多いけど―」

「……」

それって何かすげームカつく…。

「でもそれを言ったら僕だって…妻の役割をはたしてるのかどうか…」

妻の役割、ね―。

「…オマエさぁ…」

「え?」

「奥さんの一番の仕事って知ってる?」

「それは……夫を支えて…家庭を守って…ってちょっと考えが古いかな」

「ま、それもあるけどさ…」

アキラの腕を再びとり、引き寄せた。

そして耳元でそっと囁く―

「奥さんの一番の仕事はさ、子供を産むことなんだぜ…?」

アキラの顔が一気に首まで赤く染まった。

「ちゃ、ちゃんと産んだよ!僕は―」

「そうだよな、ありがとうアキラ…」

ぎゅっと力いっぱい抱き締めた。

「でももっと欲しいな…。次は女の子とか―」

「……」

「欲しくねぇ…?」

「それは……欲しいけど…、今はまだ…」

「じゃ、いつか作ろうな―」

額にちゅっとキスをして、体を離した。


「ほら、早く温泉入らねぇと混んでくるぞ」

「う、うん…」

アキラは少しふらつきながら、顔を赤めたまま部屋を出て行った。



「はぁ…」

何やってんだオレ…。

思ってることと…言ってることと…やってることが…全然違うような…。









「進藤、何飲むー?」

「ウーロン茶ー、2本取ってー」

「へーい」


夕食会は3階の大広間で行われ、明日イベントに参加する棋士達の顔合わせも兼ねていた。


「ほい、ウーロン茶。お前意外と真面目なんやな」

隣りの席に座った社が手渡しながら言った。

反対側の手には当然のようにビールを持っていて、自分のグラスに注ぎ始めている。

「オレだって家じゃ飲んでるさ。でもこういう席じゃ控えるよう上から言われてんの」

「大変やなぁ。ほな乾杯」

チンっとグラスを軽く合わせた。


――そう

オレもアキラも未成年。

当然飲酒はまだ出来ない歳だ。

とはいえ、たいていの宴会ではそういうことは関係なしに他の棋士からも勧められるし、黙認してくれる。

だけどたまにいるんだよな…姑息に告げ口する奴が。

それが普通の若手棋士なら公式な処罰は謹慎1週間――手合いを1、2回休む程度だ。

だがそれがオレやアキラの場合だったらどうなるか。

リーグ戦や挑戦手合いに不戦敗を付けるという最悪の事態が待っている。

どの世界も強いにこしたことはないが、それが若すぎると妬みや嫉妬の対象になる確率は必然的に高くなる。

どこで、誰が、姑息な手でオレらを落とし入れようと機会を狙ってるのか、分からないらしいのだ。

…ったく、面倒くせぇ!



「やーん、可愛〜」

隣りのアキラの周りには、佐為で遊びたがる女流棋士が集まっていた。

佐為も今は機嫌がいいらしく、笑顔を大サービスしている。

「塔矢さんの赤ちゃん一度見たかったの〜」

「いつ産まれたんだっけ?」

「先月の11日だよ」

アキラも嬉しそうに会話に参加している。

「やっぱ囲碁覚えさすつもりなの?」

「どうかな…本人次第」

「えー、絶対覚えさせたほうがいいわよー。塔矢さん以上のサラブレッドですもの。きっと将来5、6冠ぐらい余裕で取るわよ」

アキラは眉を傾けて苦笑いしていた。

…この子達だけじゃねぇけど、皆気が早過ぎ…。

佐為が棋士を目指すかどうかなんて、まだ全然分かんねぇのに―。


でも…オレ的には目指して欲しいかも…。

だって『佐為』だし―。

全然理屈になってないけどな。



「進藤プロだよね?初めまして、中部の西藤です」

「あ、初めましてー」

「どうです?一杯」

「いや、まだ未成年なんで…」


さっきから代わる代わる中部棋院や関西棋院の棋士が挨拶に来る。

正直お酒飲めねぇと辛い…。

この夕食会も既に宴会化してて、皆酔っ払ってすごい盛り上がりだ。

隣りの社もビール一瓶飲み干した後、次は日本酒に手を掛けていて…既に顔は真っ赤だ。

あーあ、素面なのってつまんねぇの。


「アキラ、もう戻らねぇ?」

「そうだね、そろそろ佐為にもミルクあげる時間だし」

「おい、社。オレらもう戻るけど、ほどほどにしとけよ」

「へぇーい、お前らも頑張り過ぎんなよ〜」

周りにいた人達からドッっと笑われて、オレもアキラも顔が真っ赤になった。

「うるせェ!」

社の背中を蹴って、会場を後にした。

その雰囲気のまま部屋に戻ると、上手いこと布団が二つ綺麗に並べてひかれてあったりして――思わず唾を飲み込んでしまう。


「あー…オレもう一回温泉入って来るな」

「うん、行ってらっしゃい」

そそくさと必要なタオルだけ取って、急いで部屋を後にした。


頭冷やせ、オレ!

5日ぶりにする?!

アイツの体を思いやってしない?!

どっちが正しいんだ?!






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