●2nd FEMALE + 6●


「おはようございます」

「おはよう、久しぶり」

「体はもういいの?」

「はい、ありがとうございます」



1月上旬――アキラが手合いに復帰した。

結婚しても出産しても仕事上の名前は『塔矢アキラ』なオレの妻は現在五段。

13の時に女流枠ではなく通常枠で入段してから順調に勝ち進んでいる。

14の時に既に本因坊リーグ入りした彼女に、女流棋士の中で敵う者がいるはずはなく――ゆえに入段翌年には女流タイトル名人・本因坊・棋聖・最強位全てを獲得し、3年たった現在も防衛し続けている。

もちろん通常の7大タイトル戦もオレと同様、ほとんどリーグしていて、挑戦権を得ることも度々あった。


そんな彼女の復帰初手合いの相手は―――オレだ。

棋聖リーグの第一試合。

持ち時間は5時間、場所は5階――清風の間。

今朝も甘ったるい雰囲気で起き、一緒に仲良く棋院まで来た。

時間までは共に過ごし、他の棋士に挨拶しつつ佐為のことや夕飯の買い出しなど他愛のない会話をしていた。

そして開始時間になり部屋に入った途端――オレもアキラも目付きが変わる。

たとえ夫婦だろうが何だろうが、盤を前にすると――敵だ。

容赦しねぇ…叩きのめす!

アキラも同様の気持ちらしく、こっちを睨んでいた。


「「お願いしますっ!」」


他人の目にはどう映るだろう。

休憩時間になっても、アキラは昼食を取らないのでオレらは別々に行動する。

終局するまでは一言も話さないし、目を合わせても睨みつけるだけ。

倦怠期の夫婦より酷い、とアキラが休みに入る前からよく言われていた。



だけど――


「…ありませんっ」

「ありがとうございました」


結果はオレの中押し負け。

中盤の中央の攻めが遅れ、そこで3子損をしたのが敗因だろう。

読み切ると1目半足りず、終局を待たず早々に投了した。

「この中央が遅れたね」

「だよな〜。右辺後回しにしてそっちから攻めたらよかったぜ」

「その場合こうなってこう、ほら3子どころかそれによってここも上手く連絡するからもっと得してる」

「うわー…馬鹿だな、オレ」

「ははっ」


この和やかな雰囲気は何?!


と周りにいた人皆がそう思っただろう。

皆の顔が茫然としている。

観戦者用に軽く検討をして、早々にオレらは席を立った。

「もう7時過ぎてるよ」

「ヤベ、先生とこ急ごうぜ」

仲良く腕を組んで出て行くオレらを見て、また周りが茫然となったのは言うまでもない。





「こんばんは〜」

「アキラさん、ヒカルさんいらっしゃい」

8時前に塔矢家に着くと、明子さんがいつもの笑顔で出迎えてくれた。

「お疲れでしょう?お夕飯食べて行く?」

「あ、いただきます。オレもう空腹で死にそう」

「ありがとう、お母さん」

明子さんがふふっと笑っている。

食事を取るいつもの部屋に行くと、塔矢先生がお茶を飲んでいた。

「先生、こんばんは〜」

「お父さんはもう夕飯召し上がったんですか?」

「あぁ、6時過ぎにいただいたよ」

先生の隣には碁盤が置いてあったので、夕飯の後さっそく今日の対局を並べ始めた。

棋院でじっくり出来なかった分、これから先生と3人で検討会だ。

「ほぅ…アキラが勝ったのか」

「はい、後半の左辺の打ち回しには慌てましたが、中盤の中央のミスが効いて結局は僕が1目半ほど」

「ここはやはり右辺よりも中央を先に攻めるべきだったな」

「ですよね…右も危なそうに見えたんだけどなぁ」

「確かに右辺はこの場合――…」



「アキラさん、そろそろ佐為ちゃんにミルクあげたら?」

検討も終盤になった所で明子さんが言い出した。

「あ、うん。そうだね―」

アキラも慌てて席を立った。

「粉ミルクじゃやっぱりねぇ…」

「母乳っていつまであげればいいの?」

「出来るだけ長い方が母子共にいいのよ。アキラさん体重はもう戻ったの?」

「それが…―」


アキラの声が聞こえなくなった所で、こっちも話しだした。

「佐為、ウルサく泣きませんでした?」

「いやいや、まだ静かなものだよ。これからだな」

「そうですね…覚悟しておきます」

「ははは」

生まれてそろそろ1ヶ月。

まだこの頃は静かだけど、2ヶ月を過ぎたあたりから、意味もなく赤ちゃんは夜に大泣きするらしい。

睡眠不足は覚悟しとかないとな…。


「ヒカル、そろそろ帰る?」

「そうだな」

時計を見ると既に11時前だった。

「じゃあタクシー呼びますね」




「あーあ、オレも早いとこ免許取って車乗りたいぜ」

帰りのタクシーの中でそう呟いたオレを見て、アキラが笑った。

「確かにあると便利そうだよね…。佐為を預けに行くにしても、タクシーにいちいちチャイルドシート付けるの面倒だし―」

「…でもなぁ」

「だよね…」

お互い顔を見合わせて、はぁ…と溜め息をついた。

自分達のスケジュールの忙しさは自分達が一番よく分かってる。

とてもじゃないけどオレもアキラも教習所に通う余裕なんてないんだ。

しかも学生はもうすぐ春休みだ。

これから3月ぐらいまでは教習所も混み合うだろうし―。

「いつか家族でドライブとか行ってみたいよなー」

「あ、いいな。佐為も行きたいよねー?」

意味も分からず機嫌よく笑っている佐為と、楽しそうに話しかけるアキラの姿を見て、ますますそう思う―。

車かぁ…。

手合い以外の仕事を少し減らせば、教習所に通えねぇこともないかなぁ…?

でも今でも佐為の為に大分考慮してもらってるし…、これ以上減らしたらまた上から何か言われそうだぜ。

強くなる分期待されて…仕事がますます増える一方だもんな…。

はぁ…。


「あ、そういえば月末にさ、泊まりの仕事が入ったんだけど」

「ふーん、頑張って」

「いやいや、オマエにも手伝って欲しいらしいんだよ」

アキラがオレの方を睨んだ。

「佐為はどうするんだっ!お母さん達にこれ以上迷惑かけれないよ?!」

「会場がさ、託児所付きの温泉なんだってさ。だから昼間そこに預けておけば、指導碁にも専念出来るだろ?」

「え…」

「オマエずっと家に籠りきりだったし、これからも棋院と家との往復の毎日じゃ息つまるだろ?息抜きにもいいと思ったんだけど…」

「そうだね…」

「久々にお客さん相手に打つのも楽しいぜ?」

「うん…じゃあ行ってみようかな」

「おぅ!さっそく明日事務の人に言っとくな」


イベントの手伝いの仕事とはいえ、家族で出かけるのは初めてだからわくわくするぜっ!








NEXT