TIME LIMIT〜櫻井仁編〜 おまけ





26歳のゴールデンウィーク。

 

世間が大型連休の行楽ムードに沸き立つ中、オレ、櫻井仁の心は5月の爽やかな青空とは対照的に、どす黒くやさぐれていた。

 

憧れの須本大樹先生を追いかけて東大病院を蹴り、恋人と別れてまでT医大病院へ来て、今年で3年目。

 

相変わらず先生はアメリカのシンシナティ大学へ行ったきりで、医局にはいない。

 

オレは毎日、「オレ何のためにT医大に来たんだろ…」と、暗黒の虚無感を抱えながら泥のように働く日々を送っていた。

 

 

 

そんな連休の真っ只中、都内の一流シティホテルで9歳上の兄・慎一と愛さんの結婚式が華やかに執り行われた。

 

うちの兄は、須本先生や一ノ瀬先生と並び、T医大病院で『若手御三家』と呼ばれている超絶イケメン産科医だ。

 

タキシード姿も癪に障るほど格好良い。

そんな兄の隣でウェディングドレスを着ている愛さんは、大学の看護学科を卒業し、親父のクリニックで働き始めてまだ一ヶ月。

 

兄が彼女の卒業を頑なに待ってから入籍したため、22歳という若さでの花嫁だった。

 

 

親族席の端で相変わらず「須本先生に会いたい…」と一人で哀愁を漂わせていると、披露宴の終盤――会場の照明がすっと落とされた。

 

 

『ここで、新郎新婦には内緒で、海外からサプライズのビデオメッセージが届いております!』

 

 

司会者の華やかなアナウンスとともに、会場の巨大なスクリーンに、どこか見覚えのある、だけど間違いなく異国の景色――アメリカ・シンシナティの美しい並木道が映し出された。

 

そして、カメラに向かって手を振る一組の男女の姿が映し出された瞬間、会場内の空気が一変した。

 

 

「えっ……嘘でしょ!?」

「須本先生だ!! 須本先生じゃない!?」

 

 

T医大病院で絶大な人気を誇り、NEJMに論文が載って今や世界をときめく若き天才・須本大樹先生。

 

そしてその隣でひまわりのような笑顔を咲かせている、奥さんの明菜さん。

 

 

「う、うわあああああああ!!! 須本先生ェェェ!!!」

 

 

会場中が「あの須本先生からビデオメッセージ!?」と大騒ぎになる中、親族席で一番、いや、この会場全体で一番大きな声を上げて椅子から跳ね上がったのは、他でもないこのオレだった。

両手を上げて大興奮するオレの姿に、隣にいた親父とお袋が「仁、静かにしなさい!」と慌ててオレのジャケットの裾を引っ張るが、そんなもの目に入らない。

 

画面をよく見ると、ソファーに座る須本先生の膝の上には、アメリカで生まれたばかりの1歳になる可愛い息子さんがちょこんと座っていた。

 

明菜さんがカメラに向かって元気に両手を振る。

 

 

『愛ちゃん、結婚おめでと〜!!櫻井先生、愛ちゃんを泣かせたらアメリカから呪っちゃうからねー!』

 

 

続いて、膝の上の息子さんを愛おしそうに支えながら、須本先生がいつものあの穏やかで、だけど圧倒的なオーラを纏った優しい笑顔でカメラを見つめた。

 

 

『櫻井、結婚おめでとう。愛さんも、本当に綺麗だよ。…いやぁ、4年前に櫻井から「須本、明菜ちゃんに頼んで誰か友達紹介して」って頼まれた時はどうなるかと思ったけど、俺たちが引き合わせた二人がこうして本当にゴールインしてくれて、俺も明菜も心から嬉しいよ。日本に帰ったら、またみんなで盛大に飲もう。本当におめでとう!』

 

 

スクリーンを見上げながら、オレの脳裏には3年前、大学6年生の時の記憶が鮮烈に蘇っていた。

 

真ん中の兄貴の結婚式の時、オレは慎一兄さんと愛さんが出会ったきっかけが、まさに須本先生夫妻の紹介だったという話を聞かされたのだ。

あの時、オレの隣にはまだ、恋人だった凛が座っていた。

「須本先生の奥さんの親友を紹介してもらうなんて、お兄さんも行動力あるね」なんて凛と笑い合いながら、オレは須本先生という存在の大きさと、不思議な縁に胸を躍らせていた。

 

あの頃のオレたちは、未来の選択で衝突して別れるなんて思いもせず、ただ幸せな時間を共有していたのだ。

 

 

高座に座る兄と愛さんは、驚きながらも、これ以上ないほど幸せそうに顔を見合わせて照れくさそうに笑っている。

明菜さんは3年生から須本先生の留学に同行してシンシナティへ行ったため大学は休学中だが、愛さんとは今でも固い絆で結ばれた親友同士だ。

 

 

ビデオメッセージ終盤、画面の向こうで、須本先生がふっと真面目な顔になり、カメラを真っ直ぐに見据えた。

 

 

『――それから、小児科の医局で俺の帰りを待ってくれている、もう一人の櫻井先生』

 

 

ドクン、と胸が激しく跳ね上がった。

 

先生のその深い瞳が、まるでスクリーンの向こうから、まだ東京で燻っている26歳のオレを真っ直ぐに見つめているように感じられた。

 

 

『お兄さんから聞いているよ、君が毎日がむしゃらに頑張ってくれているってね。俺が帰るまで、あと数ヶ月だ。T医大の小児科をよろしく頼むよ』

 

「……っ、はい!! 任せてください須本先生!!!」

 

 

オレはボロボロと涙を溢れさせながら、周囲の目も気にせず、スクリーンに向かって深く、深く頭を下げた。

 

凛と別れたあの日の痛みを引きずり、やさぐれていた5月の五月病なんて、先生の一言で一瞬で吹き飛んだ。


先生は、アメリカのあの遠い空の下から、オレのことを見ていてくれた。

 

膝の上に新しい命を抱いた先生は、オレがここで腐らずに戦っていることを、ちゃんと知ってくれていたんだ。

 

ビデオメッセージが終わり、会場が盛大な拍手に包まれる中、オレは涙をスーツの袖でゴシゴシと拭った。

 

 

(見ていてください、須本先生。オレ、絶対に負けません。先生が帰ってくるその日には、最高の『一番弟子』になってみせますから)

 

 

胸の奥で、消えかけていた小児科医としての情熱が、再び猛烈な勢いで加速を始めていた。


最高のサプライズをくれた兄夫婦の披露宴の夜、未来への確かな希望を胸に、明日からの過酷な当直へ向かって、強く、強く拳を握り締めた――

 

 

 

 

 

END