TIME LIMIT〜明菜AI編〜





大学での講義が本格化してきた5月のある日。


明菜が通う看護学科の講義室は、授業開始前からいつもとは明らかに違う、そわそわとした熱気に包まれていた。

 

 

「ねえ知ってる!? 今日の内科の『小児疾患概論』のコマ、原田教授が急な学会で休講になって、代講であの小児科の須本先生が来るんだって!!」

 

 

隣に座る惣田さんが、教科書を開きながら大興奮で明菜の肩を揺さぶってきた。

 

周りの女子学生たちからも、「嘘、マジで!?」「若手御三家の須本先生!?」「白衣姿、生で見られるのヤバい!」と黄色い声が次々と上がっている。

 

 

「えっ……す、須本先生が……?」

 

 

明菜は手にしたシャープペンシルを落としそうになりながら、心臓がバクバクと跳ね上がるのを感じた。

昨日の夜も、LINEで『明日も授業頑張ってね』といつも通り優しいメッセージをやり取りしたばかりだ。

 

代講のことなんて一言も言っていなかったのは、きっと自分を驚かせるための彼なりの悪戯だったに違いない。

 

 

 

キーンコーンカーンコーン……。

 

 

授業開始のチャイムが鳴り、講義室の前の重い扉が静かに開いた。

 

 

「──皆さん、こんにちは。原田教授の代わりに今日の講義を担当します、小児科の須本です。よろしく」

 

 

すっと入ってきたのは、仕立ての良い真っ白な白衣を纏い、知的な銀縁メガネをかけた、あの「模擬面接」の時と同じ姿の須本だった。

 

一回りも年下の学生たちを前にしても一切物怖じしない、現役の天才医師としての圧倒的なオーラと大人の色気が、広い講義室を一瞬で支配する。

 

 

「……っ///

 

 

その格好良さに、明菜は息を呑んだ。

いつも代々木のタワマンで、自分をベッドに押し倒して「明菜ちゃん、大好きだ」と情熱的に囁いてくるあの人が、今は教壇の上で、大勢の女子学生からの憧れの視線を一身に浴びている。

 

誇らしいような、ちょっぴりヤキモチを焼いてしまいそうな、複雑な気持ちが胸に込み上げた。

 

 

「今日のテーマは、小児特有の先天性疾患と、その看護における留意点について。……じゃあ、スライドを進めるよ」

 

 

須本がメガネのフレームを長い指先でくい、と上げながら、滑らかなトーンで講義を始める。

 

共通テスト990点の頭脳を持つ彼の解説は、難解な専門用語も驚くほど分かりやすく、退屈なはずの医学講義がまるで魅力的なストーリーのように頭に入ってきた。

 

女子学生たちは皆、ノートを取るのも忘れて教壇の須本に釘付けになっている。

 

 

「ねえ、須本先生のあの手の形、めっちゃ綺麗じゃない?」

 

「声が低くて耳が幸せすぎる」

 

「噂の彼女って誰なんだろう、羨ましすぎる……」

 

 

周囲から聞こえてくる恋焦がれるような囁き声に、明菜の顔はまたたく間に真っ赤に染まっていく。

 

(その彼女、今ここでノート取ってる私なんです……っ///

 

心の中でそう叫びながら、恥ずかしさを隠すように必死に下を向いてペンを走らせた。

 

講義が中盤に差し掛かった頃、須本がふとスライドの手を止め、講義室の座席を見渡した。

 

 

「ここまでの内容で、看護側の視点として何が一番重要か。……少し質問してみようかな。じゃあ……そこの、進藤さん」

 

「えっ……!?」

 

 

不意に名前を呼ばれ、明菜は心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いて勢いよく立ち上がった。

惣田さんが「がんばれ……!」と小声で応援してくれるなか、明菜は教壇の須本を恐る恐る見つめた。

 

メガネの奥の須本の瞳が、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、いつもの愛おしそうな「彼氏の目」になって優しく緩んだ。

 

クラスメートたちには絶対に気づかれない、二人だけの秘密のアイコンタクト。

 

 

「小児看護において、成人の看護と最も異なる『家族へのアプローチ』について、君の意見を聞かせてくれる?」

 

「は、はい……っ。子供は自分の症状を正確に言葉にできないことが多いため、観察はもちろんですが、一番近くにいるお母さんやご家族の不安に寄り添い、信頼関係を築くことが大切だと思います……!」

 

 

緊張で声が上ずりそうになりながらも、彼が日々小児科医として大切にしている姿勢を思い出しながら、明菜は真っ直ぐに答えた。

 

須本は明菜の回答を聞くと、満足そうに、そして誰よりも嬉しそうに口元を綻ばせた。

 

 

「──100点満点。素晴らしい解答だね。進藤さんの言う通り、小児看護は家族全体のケアが基本になります。座っていいよ」

 

「ありがとうございました……っ」

 

 

席に戻った明菜は、顔から火が出そうなほど真っ赤になりながら机に突っ伏した。

 

あの模擬面接の時と同じ「100点満点」という言葉。

 

周囲の学生たちが「進藤さんすごい!」「須本先生に褒められた!」とざわつくなか、明菜の胸は嬉しさと愛おしさで破裂しそうだった。

 

 

 

その後、講義は何事もなかったかのように終了し、須本は爽やかに白衣を翻して講義室を後にした。

 

 

 

 

「はぁ……心臓が持たないよ……」

 

明菜が机の上で完全に脱力した瞬間、ポケットのスマートフォンが、ぶるりと静かに震えた。

画面を開くと、さっき教壇を降りたばかりの須本からのLINEだった。

 

 

『教壇から見る明菜ちゃんの真剣な顔、すごく素敵だったよ。

解答も完璧。さすが、俺の未来の奥さんだね。

……今週末のデートの時は、よく頑張りましたって、たくさん褒めてあげるから。覚悟しておいてね』

 

 

その直球で甘い、大人の独占欲に満ちたメッセージに、明菜は教科書の下で、再び顔を真っ赤に火折れさせたのだった――

 

 

 

 

 

 

 

END