●PROPOSE おまけ●
もうすぐお兄ちゃんと精菜が結婚する――
私が小学3年生の時だっただろうか、両親から聞いた話を…ふと思い出した。
まだ精菜がお腹の中にいた時の話だ。
『よかったな〜佐為。怜菜さんのお腹の中にいるの、女の子なんだって』
『おんなのこ…?』
『緒方先生がお前のお嫁さんにくれるってさ!』
『およめさん…?』
『うん。だから生まれてきたら大事にしてやれよ』
『うん……わかった。だいじにする』
まだ2歳だったお兄ちゃんは、お父さんにそう刷り込まれた。
生まれて来る子は自分のお嫁さんになる子なんだから、大事にしなければならないと。
そして精菜が生まれた後、お母さんと一緒にお見舞いに行ったお兄ちゃんは、赤ちゃんの精菜にこう話しかけたという。
『はじめまして、ぼくのだいじなおよめさん』
**************
お兄ちゃんと精菜の交際が世間に知れ渡った日は、もちろん大混乱となった。
TV局も新聞社もSNS系も各社報道合戦になる。
それでもマイナス報道がほぼ無かったのは、第一に関係が週刊誌とかで暴露されたのではなく、お兄ちゃんが自ら喋ったからだ。
プロポーズした翌日からは十段の防衛戦だった。
終局後の会見の時に、いきなり堂々と、生配信されているカメラの前で。
「緒方精菜女流棋聖と結婚することになりました」――と。
(きゃーvv)
その頃現地・長野の会場でお母さんと一緒に大盤解説の仕事をしていた私。
ファンと一緒にモニター越しに会見を聞いていたので、突然のことにもちろん解説会場も大パニックの大騒ぎだ。
けれどそんなにモメなかったのは、やはり相手が精菜だったからだと思う。
父親が緒方九段で、生まれた時からの付き合いの幼なじみの女の子。
しかも同期で正棋士入段。
おまけに現在は女流棋聖を持つタイトルホルダー。
妹の親友でもあり、美人で聡明でスタイルもいい。
若い結婚なのに、精菜が妊娠していない点も評価された。
ファンからしてみれば反対する要素のないこれ以上のない相手だった。
女優やアイドル、アナウンサーと結婚されるよりよっぽどいい。
一般人と結婚して相手の名前すら公表されないよりよっぽどいい――とファンは思ったそうだ。
「いつから交際を?」
という質問にはお兄ちゃんは明言を避けた。
ただ「プロ試験を一緒に受けてる時には既に…」と中1で既に交際していたことは認めていた。
同僚の棋士の間では二人の交際は有名な話だ。
それはもちろんプロ試験の時に二人の痴話喧嘩を見られたことから広まった。
だからお兄ちゃんは敢えて喋ったのだ、おそらくこれから他の棋士に自分達のことを聞く記者も出てくるだろう。
彼らの口からバラされるくらいなら、自分の口で話した方がマシだと――
「プロポーズはいつ?」
「一昨日です」
「どういうシチュエーションで?」
「はは…それは流石に恥ずかしいので」
少し恥じらい気味にお兄ちゃんは隠していたけど、そりゃ話せないだろう。
事後にベッドの中で……なんて。
(私は精菜から聞いたから知ってる)
「緒方女流は棋士を続ける?」
という問いにはお兄ちゃんは急に真面目な顔になる。
「僕は続けてほしかったんですが、引退する方向で考えているみたいです。一ファンとして残念ですが、彼女の人生ですので」
結局、精菜は今月いっぱいで棋士を引退することになった。
5日後に行われた彼女の棋士人生最終局、女流本因坊戦・本戦2回戦。
相手は――私だった。
「……負けました」
私が敗北を認め頭を下げた時、自然と涙が滲んできた。
「何で彩が泣くの?」と精菜に笑われる。
「だって……」
だって、こんなに強いのに。
そしてきっと、まだまだもっともっと…強くなれるのに。
本当に両立は出来ないの?
お兄ちゃんを支えながら棋士を続けることは、本当に出来ないものなの?
「……彩、私は本当はプロ棋士なんてなるつもりなかったんだよ」
「……え?」
「佐為を近くで見張る為に棋士になったの」
「でもっ、本当はそれだけじゃないでしょ?そんな邪な気持ちだけなら、もっと適当に打ってるよね?」
「…そうだね、適当に打つこともできた。でもそうしなかったのは、佐為に相応しい地位を手に入れる為だよ。タイトルくらい持ってないと、佐為のファンが許してくれないでしょう?」
「精菜……」
結局、精菜の頭は昔からお兄ちゃんでいっぱいなのだ。
全てお兄ちゃん中心なのだ。
「棋士を続ける限り……きっと私は本気で打ち続ける。佐為の妻がタイトルを落とすなんて許されないから」
「そんなことないと思うけど…」
「中途半端は嫌いなの。佐為が対局を終えて帰って来た時、出迎えてあげたい。今の生活だとそれが出来ない」
「……そうだね」
精菜はここ数年、対局数がずっと50を超えている。
それはつまり、毎週どこかで対局してることを意味する。
そんな女流は……精菜とお母さんくらいしかいない。
普通の男性棋士より忙しいのがこの二人だ。
そして私は知ってる。
お兄ちゃんが両親みたいな永遠のライバル関係な配偶者を望んでないことを。
明子おばあちゃんみたいに、棋士としての自分支えてくれるような人を求めていることを。
きっと精菜はそれすらお兄ちゃんに合わせようとしてくれてるのだ……お兄ちゃんを手に入れる為に――
「お兄ちゃんは幸せ者だね……こんなにも想ってくれてる人がいて」
「私が佐為を好きなのはね、こんなにも重い私の愛を普通に受け入れてくれてるところだよ。きっと普通の人なら耐えられないよ」
「お兄ちゃんは普通じゃないからね。棋士が普通結婚会見開く?会見がテレビの全チャンネルでライブ放送されるなんてあり得ないよね」
二人で笑ってしまった。
色んな意味でお兄ちゃんは普通じゃないのだ。
そんなお兄ちゃんを支えていけるのはきっと――精菜しかいない。
「今までお疲れ様…精菜。でもって、おめでとう。結婚式には呼んでね?」
「彩を呼ばなくて誰を呼ぶの?」
と精菜に笑われる。
一緒に碁石を片付けてる時、彼女の左手薬指に光る指輪が見えた。
お兄ちゃんから贈られたカルティエのエンゲージリングは、宝飾品に全く興味のない私でも思わず見とれてしまうくらい素敵な指輪だ。
「お値段も素敵そう…。いくらくらいしたのかなぁ?」
「ふふ、秘密らしいよ」
「精菜も知らないんだ?」
「うん。ただ今まで私が付けてた指輪の1000個分くらいだって」
「へぇ…」
精菜が今まで付けていたのは、私達が小5の時に贈られたものだ。
9年以上ずっと大事にしてきたその指輪を、プロポーズの時に付け替えてくれたらしい。
……いいなぁ。
私も京田さんから指輪を貰いたいなぁ。
もちろん、エンゲージリングとして。
「彩も早く貰えるといいね」
私の考えてることなんてお見通しな彼女に微笑まれる。
「うん……そだね。でも、私は例え結婚しても棋士は続けようかな…」
「うん、彩なら絶対出来るよ」
「…うん――」
数日後、お兄ちゃんと精菜は入籍して、彼女は『進藤精菜』となった――
―END―
以上、彩視点による兄のプロポーズから入籍までのお話でした〜。
まさかの棋士人生最後の対局が彩とです。
でもってちゃんと本気で打って勝つ精菜です。
ちなみに以後の進行中の棋戦は全て不戦敗となります。
もちろんタイトルも返上です。
またしばらくアキラの独壇場が続きそうですね(笑)
では、結婚会見裏話でも。
十段戦の現地・長野にいる棋院スタッフから佐為が結婚を決めたらしいと連絡を受けた松尾さん(広報部、佐為担当)は、急いでマスコミ各社に平等に連絡します。
進藤名人から重大発表があるかもしれない、と。
22歳という適齢期の名人からの重大発表なんて言ったら結婚しかない!!と既に盛り上がり始めるマスコミです。
もちろん松尾さん自身も急いで現地入りします。
さて、何も知らない佐為は終局後、いつものように勝利会見会場に入ると、あまりの数の報道陣に驚きます。
(何でこんなに?!)
いくら佐為と言えども、何の記録もかかっていない一タイトル戦の会見は、いつもなら10社程度しかいないのです。
それが一気にカメラの数が10倍に。
しかも通常の勝利インタビューで、形勢がどうだこうだ〜なんて話しても皆聞いてない聞いてない。
業を煮やした一人の記者がついにツッコミます。
「つまり今回の勝利には支えてくれる人の存在があったということですか?」
「――え?」
そんな露骨に聞いてきた記者は今までいなかったので、佐為は後ろの出入口前にいる松尾さんの方を思わずチラリ。
『ごめん!でも頑張れ!もう発表してしまえ!』
と彼のジェスチャーからそれを読み取ります。
「そうですね…………実は、」
と無理矢理結婚会見がスタートしたのでした!
ちなみにテレビはちょうど平日夕方、ニュースの時間帯です。
各局「ニュースの途中ですが、」と言って映像を即座に切り替えたに違いないね!チャンチャンw
最後に。
冒頭の思い出話を彩と一緒に聞かされた時の佐為(小5)の反応をどうぞ!
〜〜夕飯の食卓で思い出話を聞いて〜〜
「――てなことがあったわけだけど、あの時の佐為は本当に可愛かったよなぁ〜♪佐為、覚えてる?」
「……覚えてるわけないよ、2歳の時のことなんか」
「えー、しばらくあんなにお嫁さんお嫁さん言ってたのに〜?」
「覚えてないから!じゃ、ご馳走さま」
僕は食器を流し台に運んだあと、あくまで冷静を装って急いで部屋に戻った。
胸が異様にドキドキ鳴り響いて煩い。
精菜をお嫁さんだなんて……
お嫁さんだなんて……
「………」
想像して、かあぁっと顔が赤くなる。
僕は頭を思いっきり振って煩悩を振り払い、冷静さを取り戻す為に碁盤の前に座ったのだった。
数日後、学校帰りに僕は偶然精菜と一緒になった。
そこで、彼女から思わぬ告白を受ける。
「私、佐為のこと好き」
嬉しかった。
今まで告白なんて面倒だとしか思ったことがなかった僕が、一瞬で天まで昇る気持ちになった。
もちろん僕はすぐに彼女の手を取って、
「僕も…」
と返した。
「本当…?」
「うん」
「じゃあ私と付き合ってくれる?」
「うん…もちろん」
「嬉しい…!」
この時の彼女の笑顔に僕の心は鷲掴みにされる。
(お嫁さんかぁ……)
まだまだ先の話だけど、いつか本当に精菜と結婚出来たらいいなぁ…と、僕は再び思うようになったのだった――
―END―