●いつかオレが本因坊を取ったら結婚しよう●





僕、塔矢アキラと進藤ヒカルは恋人同士だった。

そう――だった。

過去形だ。

別れたのではない。

忘れてしまったのだ……進藤が。



忘れもしない今年のバレンタインデー。

僕と彼は当然のように会う約束をしていた。

待ち合わせ時間を5分過ぎたところで、「塔矢〜!」と僕を呼ぶ彼の声が聞こえた。

交差点の向こう側で大きく手を振る彼の姿が確認出来た。

遅刻したから焦っていたのだろう。(僕は時間には厳しいのだ)

信号待ちもじれったく、彼は歩道橋を駆け上がり始めた。

だけど奇しくも今年のバレンタインデーはホワイトバレンタインだった。

雪で滑りやすくなっていた。

そんな時に、手摺りも使わず駆け降りようとしたらどうなることか。

簡単に予想出来た。

そして、進藤という男は見事にその予想を裏切らない男だった。



「ぅわああああ」



真っ逆さまに落ちた。

どうしよう。

指を骨折したら大変だ、碁石が持てなくなる。

なんてことを考えながら慌てて僕は駆け寄ったわけだけど、事態は想像以上に酷かった。


「進藤…?進藤っ!!」


動かない彼。

誰かが呼んでくれたのかすぐに救急車が来て、病院に行って、手術が始まって……慌ただしく色々あったのだが、僕はあまりのショックでよく覚えていない。


そして。

意識を取り戻した進藤に――


「誰…?」

と問われたんだ――







あれからもう三ヶ月近くになる。

あんなに寒かったのに、今はもう桜の季節も終わり、家々の庭には鯉のぼりが飾られていた。

未だに…進藤は記憶が戻らない。

自分が進藤ヒカルだってことは分かる。

家族の顔もちゃんと覚えていた。

だけど…それ以外の人のことは思い出せない。


ただ、幸いなことに碁は打てた。

棋力も今まで通り。

だから周りは「また一から覚えていけばいいじゃん」と軽いノリで進藤を励ましていた。



「…なぁ、ずっと気になってたんだけど、オレって恋人とかいなかったのかなぁ…?」


打ちかけ休憩の時に進藤が和谷君に尋ねた。

少し離れたところで休んでいた僕の耳も急にダンボになる。

もちろん和谷君のことも進藤は覚えていなかった。

でも彼のお母さんが、ヒカルと一番仲がよかったのは和谷君だった、ヒカルのことなら何でも知ってるはずだ、と断言したので彼は何かと和谷君を頼り、忘れたことを聞きまくっていた。


「お前に彼女〜?ないない、絶対いない。だってお前、朝から晩まで碁打って、俺らが合コンとかに誘っても全然来なかったじゃん。本因坊取るまでは女はお預けとか言ってさぁ」

「じゃあこの塔矢アキラは?めちゃくちゃ着信履歴も発信履歴もあるんだけど…」

進藤が携帯の履歴を和谷君に見せた。

「塔矢?あー…そいつは彼女じゃなくてライバルだよ。お前、そいつとよく打ってたから連絡しあってたんだろ」


僕らはからかわれるのが嫌で、付き合っていることをずっと隠してきた。

この時ほどそれが失敗だったと思ったことはない。

もっと言い触らしておけばよかった。

僕と進藤は18の時から…もう7年も付き合ってるんだって。

彼が本因坊のタイトルを奪取次第、すぐにでも結婚するつもりなんだって!


「…やっぱそうだよな。塔矢からのメールもいっぱい残ってたけど、全部短い業務内容ばっかだったし。何時にどこそこ集合な、とか」


ああ…こんなことなら恥ずかしがらずに、もっと甘い内容のメールも送っておけばよかった。

そしたら嫌でも進藤は僕らの関係に気付いただろうに。


進藤がチラリと僕の方に視線を向けた。

僕はさっと目を逸らす。

ああ…なぜ逸らす必要があるんだ。

見つめ合えばいいものを…。

僕の馬鹿馬鹿馬鹿。



「…女はお預けかぁ。てことはオレ…まだ童貞なのかなぁ…」

和谷君が吹き出した。

「たぶん、な。なになに?記憶なくして色恋に目覚めちゃったとか?」

「……」

「よーし、お兄さんが近々コンパに連れてってやる♪女子大生がいいか?それともOL?」

「和谷に任せるよ」

「オッケー。あ、女流ってのもアリだよな〜。お前狙ってる奴結構多いからより取り見取りだぜ、きっと」

「はは…」


進藤が、女流の人達と、合コン…!!

眩暈がするかと思った。

駄目だ!駄目だ駄目だ駄目だー!

和谷君の言う通り、若手のホープで格好よくて誰にでも気さくで優しい進藤を、狙ってる女流棋士は多いんだ。

合コンなんか行ったが最後、チヤホヤされて酔わされて…ホテルに連れ込まれて既成事実を作られて、挙句の果てに責任取れと泣かれて…真面目な彼は交際を受け入れてしまうに決まっている。

何としてでも阻止しなければ…!!

そうだ、僕もその合コンに参加しよう。

彼が女流のお姉様達の毒牙にかからないよう近くで見張っていよう。


「奈瀬さーん!」


善は急げ。

僕は和谷君達と一番仲のいい彼女に、もし合コンなんかが開かれることがあったら僕も誘って貰えるようお願いした。








そして一週間後――その時はやってきた。

男性棋士10人、女性棋士10人、計20人の結構大きな合同コンパが開催された。

ああ…やっぱり進藤の奴、女の人にチヤホヤ囲まれている。

満更でもない顔しちゃって…ムカつく。

どの娘を落とそうか考えてるのか?

今夜童貞を捨てるつもりなのか?

ふん、そんなものもうとっくの昔に捨ててるっての!

(キミは僕と何十回、何百回としたことがあるんだからね!)


ああ…それにしてもなかなか進藤の側に行けない。

「塔矢さんがこういう飲み会に来るのって珍しいよね〜」

「もっと話してみたいってずっと思ってたんだ。ほら、飲んで飲んでー」

横に座った男達がなかなか僕を解放してくれないからだ。

しつこくお酒を勧めて絡んでくる。

たまに手を肩に置かれる。

さりげなく払うんだけど、また置かれる。

しまいには遠い方の肩にも手を回され――引き寄せられる。


「あの…っ」

「いいからいいから。楽しく飲もうよ♪」

何がいいんだ、強引な人達だ。

は!ああ!!しまったー!!進藤がいない!!

くそっ、誰かにお持ち帰りされちゃったの…か――



ぐいっ


突然腕を引っ張られた。

席を立たされ、両隣の男達から引き離される。


振り返ると―――進藤がいた。


「進…藤?」

「塔矢、ちょっと来い」


強引に店の外に引っ張られて行ってしまった。

怖いぐらいに僕を睨んでくる。


「オマエさ…なにチヤホヤされてんだよ。デレデレしやがって」

「な…っ!チヤホヤもデレデレも別にしていない!それはキミの方だろう!」

僕も負けじと睨んでやる。

「だいたい…だいたいどうして合コンなんかに参加したんだ!」

僕がいるのに…!

「オマエがいつまで経っても何も話してくれないからじゃん!」

「何…を話すって…」

「自分が恋人だって!付き合ってるって!どうして教えてくれないんだよ?!」

「…キミ、思い出したのか……?」

「思い出してねーよ!でもそれくらい分かる!オマエ見ると異様に胸がザワつくし…苦しくなるし。始めは片想いかなって思ったんだけど……携帯見てやっぱ違う、付き合ってたんだって分かったから…」

「…?でもただの業務内容ばっかだっただろう…?僕らは短くて素っ気ないメールしかしてなかったから…」

「でも分かるよ。毎日のようにメールも電話もしてるんだぜ?それも一日に何回も!きっとメールは約束の日時を忘れない為に送りあってただけで、本当は電話メインだったんだろうなって思った。電話で…会えない時も気持ちを確かめあってたんだろうって」

「……う…ん」

「それなのに!この三ヶ月間、オマエ何にも言って来ないし!恋人が合コンに参加するってのに止めもしないし!おまけにオマエまで参加してチヤホヤされてるとこ見せ付けてくるし!オマエ、オレの記憶がないのをいいことに、オレとのこと無かったことにしようとしてるんじゃねーだろうな?!」

「そんなわけ…、だって…、話せない…よ」


話せるわけがない。

僕のことを完全に忘れてしまった恋人に、話してどんな反応されるのかと思ったら…。

怖くて話せない。


「きっとお互い気まずくなる。だから…無理に関係を続けないで、キミが思い出すのを待とうと思ったんだ…」

「でも、教えてくれた方が早く思い出すかもしれねーじゃん」

「…キミに僕の気持ちが分かるか?キミはご家族のことは覚えていた。でも僕のことは忘れた。つまり、僕はキミの中ではまだ『家族』に等しくなかったんだ。本因坊を取ったら結婚しようって…いつか言ってくれたよね?でも何年待っても挑戦者にすらキミはなってないじゃないか!いつ僕はキミの家族になれるんだ?このままじゃ一生なれないんじゃないか?!」

「……ごめん」

「本気じゃないんだろう!キミは本気で本因坊を取る気も、本気で僕と結婚する気もないんだろう!」


そんなこと思ってない。

進藤を信じてる。

いつか取るって信じてる。

本気だって分かってる。

今期も挑戦者まであと少しだった、彼が本気で悔しがってたのも嫌ってほど分かってる。


でも――口が止まらない。

溢れてきた涙も止まらなかった。


「進藤の馬鹿!キミなんか大嫌いだっ!」

「…オレは…好きだ」

「僕は大嫌いだ…!」

「オレはオマエのこと、大好きだ!」

「……」

「ずっと好きだった!ずっと結婚したい、一生側にいてほしいって思ってた!いつか本因坊を取った時に…夢が叶った時にオマエと一緒になりたかったけど、本気じゃないって疑われるぐらいなら――」


進藤が僕の左手を取って――薬指にキスしてきた。


「結婚しよう、今すぐ」

「…今すぐ?」

「うん。今すぐ家族になろう」


もう二度と忘れないから。

絶対に忘れない、二度と不安にさせないから――と。


「…うん」

「幸せにするから」

「うん…――」


こうして僕らは夜間の区役所に飛び込み、正式に夫婦となった。

(証人の欄は和谷君達に書いてもらった。親は事後承諾だ)






進藤の記憶はその後順調に戻っていく。

そして一年後の本因坊戦で、彼は見事タイトルを奪取するのだった。









―END―








いかがでしたでしょうか…?ドキドキ
あんまり甘くなくてゴメンなさい。それもこれも記憶をなくしちゃったヒカルのせいです。全部ヒカルが悪いんです。
えーと、これは一応リアルタイム25歳な二人の設定です。でも個人的には25歳までにはヒカルには本因坊の一つや二つ取っておいてほしいなあ…と思います。
原作のあの勢いそのままに突っ走ったらきっと可能なはず…!
で、アキラさんには名人あたりを取ってほしいです。女のアキラさんでもです!
女でも男でもアキラさんはアキラさん、きっとものすごく強いと思うのです。
今までの女流の常識を覆してほしい…!