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京田さんと付き合い始めて10ヶ月。

もうすぐバレンタインを控えた今日、私はとんでもないところにいた。



京田さんの実家だ……!!

 

 

 


遡ること数時間前。

私は銀座のデパートにいた。

もちろん京田さんへのチョコレートを買うつもりで。

もちろん手作りしたい気持ちは山々なんだけど、父の手前、彼氏の為の手作りチョコだんて恐ろしくて出来なかったのだ…。

(しばらく絶対ネチネチ言われることだろう…)


デパ地下を彷徨くこと1時間。

「…あら?もしかして進藤さん?」

と私は声をかけられる。

振り返るとそこには――京田さんのお母さん!!


「お買い物?」

「は、はい…、チョコを買いに…」

「もうすぐバレンタインですものね。もしかして息子に?」

「…そうです」


京田さんのお母さんはこのデパートに入っている食料品店に、お菓子作りの材料を買いに来たみたいだった。

昔から母親の手作りお菓子を食べて育った彼。

買ったもので本当に喜んでもらえるのだろうか……


「あの…、京田さんのお母さんは、チョコレートは手作りされるんですか?」

「もちろん。チョコレートケーキにチョコクッキーに、ブラウニーに、ここぞとばかりにたくさん作っちゃうわ」

「そうなんですね…」

「よかったら一緒にいかが?」

「……え?」



というわけで、そのまま広尾の実家に連行された私。

エプロンまで貸してくれて、彼の実家の台所に立ってしまっていた

緊張で倒れそうだ……



「昭彦さん、ご飯とかちゃんと食べてるのかしら?」

一緒にチョコを刻みながら、お母さんが聞いてくる。

「対局日以外はちゃんと自炊されてるみたいですよ」

「そうなの?」

「はい。私も何度かいただいたことありますけど、どれも美味しかったです」

「まぁ…」

いいことを聞いちゃったわ、とお母さんはニコニコしていた。


「お仕事の方は頑張ってるのかしら…」

「頑張ってますよ。先月四段に上がりましたし」

「四段…」

「まだ入段して3年弱ということを考えれば、信じられないくらい早いです。きっと今年中にはどれかの棋戦で予選も突破してくると思います」

「そう…」


それならよかったわ…、とお母さんは少しホッとしたようだった。



「きっと進藤さんのおかげね」

「…え?」

「年末年始に久しぶりにあの子と過ごしたけど、あなたからの電話に出る度にあの子…、すごく優しい表情になって、幸せそうだったから」

 


……え?

 

「高校の時はすごく苦しそうで、いつも険しい顔してて……見てて辛かった。囲碁の道に進むことを止めた方がよかったんじゃないかって…、後悔したほどに」

「……」

「それがあんな表情してくるようになるなんて…。まさか進藤さんに会いたいが為に旅行中断して帰るなんて思わなかったけど」

「あ…、すみませんでした」

「いいのよ、もうあの子にとってはあなたが一番みたいだから…」


京田さんのお母さんに、「これからも息子をよろしくね」とにこりとお願いされる。

その笑った表情はどことなく彼に似ていた。

 



チョコレートを作ってる間、私達は色んな話をした。

京田さんのご両親の馴れ初めまで聞いてしまった。

恋愛結婚な彼のご両親。

出会ったのは何と、合コンらしい。

(意外すぎる…)


「主人の会社の同期の女の子達は…、皆いわゆるバリキャリを目指した、野心に溢れた高学歴な子達ばかりだったんですって」

周りにそんな女性しかいなかったから、京田さんのお母さんが衝撃過ぎたらしい。


『春野撫子です。ニートです』

『バカ!撫子!そこは家事手伝いって言わなきゃ!』

『え?だって私、家事も別に手伝ってないし…。働いてなくて就活も何にもしてない人をニートって世の中の人は言うんでしょう?』


京田さんのお父さんは大ウケだったらしい。

帰り際に連絡先を交換して。

何度かデートを重ねた後に交際を求められたという。

そして付き合い始めてわずか1年でゴールイン。

すぐに京田さんを身籠ったのだとか。



「私、合コンなんて一度も行ったことなかったのに…。縁って不思議よね」

「そうですよね…」

「昭彦さんも、もし中学で囲碁部に入らなければ、進藤さんと出会ってなかったかもしれないわね…」

「そうですね…、本当にそれは思います」


私がプロ棋士になることは恐らく揺るぎない。

でも京田さんには色んな人生が用意されていたのだ。

囲碁を選択してくれて、彼と出会えて、本当によかったと思う。

そしてもし私がもう1年プロになるのが早かったから、もしくは遅かったら…、京田さんは進藤門下ではなかっただろう。


(運命って不思議だ…)

 

 

 



1
時間後、無事チョコレートが完成し、私は京田家をお暇することになった。


「また来てね」

「はい、教えて下さりありがとうございました」

「こちらこそ。楽しい時間をありがとう」


京田さんのお母さんといると、すごく温かい気持ちになって安らげた。

きっと京田さんのお父さんもそういうところを気に入ったのではないだろうか。

 

 

 

 

 


バレンタイン当日。

私はチョコレートを彼にあげた。


「京田さん……これ」

「ありがとう」


すぐに包装を解いて、中身を確認する彼。


「へぇ…、すごく上手に出来てるな」

「そうでしょう?京田さんのお母さんが教えてくれたから」

「――え?」


どういうこと?という表情をする彼に――私はチョコよりも甘いキスもプレゼントする。


囲碁部に入ってくれてありがとう。

院生になってくれてありがとう。

一緒にプロ試験を合格してくれてありがとう。

進藤門下に入りたいと思ってくれてありがとう。


「私を好きになってくれてありがとう…」

「佐為…」


私達にとって初めてのバレンタイン。

私達は出会えた喜びを噛み締めながら、甘いキスを繰り返したのだった――

 

 

 



「…ねぇ京田さん、ご両親の馴れ初め知ってる?」

「ああ…、もちろん。父さんは母さんと出会って、世界の見方が変わったって言ってたよ」

「え…?」


御三家出身で、東大出て、大企業に就職して、それまで自分の人生に自信もプライドも持っていた京田さんのお父さん。

でも彼女と付き合い出して、初めて自分は選ぶ側じゃない――選ばれる側なんだと痛感したそうだ。

学歴も仕事も、お母さんのご両親からしたらそんなものは最低条件で。

これからどれだけ社会で活躍出来るのか、どれだけの功績を残せるか、そして大事な娘にどれだけの幸せを与えてくれるのか――

 


「俺も進藤先生に許してもらえるよう頑張るよ」

「はい…、頑張ってタイトル取って下さいね。もちろん、私も狙いますけど」

「はは…、先越されそう…」





END

 

 

お兄ちゃんがここまで京田さんと親しくなれたのは、院生になってた私のお陰ってこと忘れないでよね!!(by 彩)