●FIRST GAME●





「精菜、いよいよ明日お兄ちゃんと対局だね!」

「うん……」



高3の8月――私は17歳にして七段に昇段した。

本因坊戦の最終予選を突破し、リーグ入りを果たしたからだ。

女性棋士の中では塔矢アキラ以来のスピード昇段らしい。

そして今月からいよいよスタートした本因坊リーグ。

私の記念すべき初戦の相手は――恋人である佐為となった。



「そういえば精菜って、公式戦でお兄ちゃんと打つの初めてなんじゃない?」

「うん……そうだよ」

「いいな〜私お兄ちゃんと打ったことないもん」



私も佐為も彩も同じ年に入段した同期だ。

でも一年後には佐為はほぼ全ての予選を突破して本戦入りしてしまったから、以降彼と対局する機会は下の方の若手棋士にとっては皆無に等しかった。

やっと叶った念願のリーグ入り。

もちろん嬉しい。

棋士としてやっとここまで来た。

悔いが残らないよう、もちろん全力を尽くすつもりだ。



――でも



一方で素直に喜べない自分もいた。

それはもちろん……



『佐為、来ちゃった♪』

『精菜……』


昨日佐為の部屋に遊びに行くと、明らかに私を『対戦相手』として見ている彼がいたからだ。

馴れ合いたくない――彼の態度から私はそう言われたような気がした。

せっかく二人きりだったのに、結局甘い雰囲気には全然ならなくて。

私は早々に彼の部屋から退散せざるを得なかった。

ふと、おじさんとおばさんのことを思い出した。

タイトル戦が近付くと寝室も分けていたという佐為の両親。

対局当日なんて口もきかないらしい。

昨日の彼はまさにそんな二人の息子だと思った。



「頑張ってね精菜!お兄ちゃんに一泡吹かせてやって!」

「うん……」












翌日。

私は重い足取りで棋院に到着した。

対局室は5階。

エレベーターのボタンを押そうとしたら、横から伸びてきた手に『5』を押されてしまう。

えっ…と顔を上げると――佐為だった。


「おはよう精菜」

「お、おはよ…」


棋院で佐為に会うと、私はいつも自然と笑顔が溢れる。

でも今日の私は笑顔どころか途端に顔が強ばった。

それはもちろん――佐為の表情が本気度を物語っていたからだ。

勝負師の顔、眼差し。

もちろんスーツ。

対局室で向き合うと、彼がいつも大一番の時に使う扇子を前に置かれてしまい……一瞬血の気が引いた気がした。


私だけが知っている佐為の扇子事情。

彼は対局の重要度によって扇子を使い分けているのだ。


『おじいちゃんから貰ったこの扇子を使うのは、タイトル戦とか絶対に負けられない対局の時かな』


何年か前に無邪気にそう話してくれたことがある。

プリントではない、塔矢行洋名誉名人が直筆で『獅子』と書かれた、この世にたった一つしかない扇子。

臙脂色の飾り紐が付いてるので、見ればすぐに分かる。


(そこまで本気なんだ……)


持ち時間は5時間。

佐為がそこまで本気なら、私もそれに応えなければならない。

深呼吸して、私も目の前の、今だけは敵の恋人に鋭い視線を向けた――




「「お願いします」」











彩は京田さんちに行く度に一局打ってるらしいけど、私達は全くと言っていいほど打っていない。

対局より、恋人同士の時間を大事にしているからだ。

もちろん彩だって大事にしてると思うけど、そもそも私と彩じゃ恋人に会える回数が違うのだ。


週に一度会うのがやっとな今の私達。

佐為が忙しいのは昔からだけど、最近は私の方も相当なスケジュールになっているからだ。

木曜は必ずと言っていいくらい手合いが入っている。

最終予選にまで進んでいる棋戦も多く、大阪や名古屋での対局も多いから前後泊は当たり前。

女流のタイトル戦だってほぼ毎回挑戦しているから、地方に向かうことも多い。

そのしわ寄せは当然学業に来ていて、最近私は高校に行く度に放課後補講に追われていた。

その合間を塗ってやっと佐為に会えたんだから、対局なんかよりひたすらイチャイチャしたい。

それなのに、一昨日は全く甘い雰囲気にならなくて、もう残念過ぎて仕方がない。



パチッ…


100手を超えた頃、残るはヨセのみになる。

チラリと佐為の表情を伺った。

真っ直ぐ盤面に向けられた視線。

私の方なんて微塵も見ていなかった。


リーグ戦というのはタイトルの挑戦者を決める対局だ。

たったの一敗でも挑戦出来ないことも多々ある。

しかも今回は佐為がいつかは取りたいと願う本因坊戦。

初戦を白星で飾りたいと思う彼の意気込みも分からないでもない。

だけど……


(佐為とこんな勝負をしなくちゃならないなら……リーグ入りなんてしなきゃ良かった……)


打ちながら、私はそう後悔した。

佐為にこんな態度を取られるくらいなら、もう二度とリーグ入りなんてしたくない――そう思った。





「負けました……」


夕方、私は持ち時間を一時間も残した状態で投了した。

観戦記者用に簡単に手早く検討をした後、逃げるように対局室を後にした。

エレベーターなんか待ってられなくて階段に向かおうとしたら――突然腕を掴まれる。



「精菜、待てよ」

「……何?」

「どうしたんだよ?」

「……何が?私は本気で打ったよ?でも全然敵わなかっただけ。最後は誰がどう見ても私の1目半負けだった。だから投了したの。何か問題ある?」

「そうじゃなくて…っ」



腕を掴まれたまま、佐為に人目の付かない階段の踊り場まで連れて行かれる。

そしてずっと下を向いたままの私の顔を覗き込んできた。


「何でそんな泣きそうな顔してるんだよ…?」

「ま…負けたんだから当たり前でしょう?負けて笑ってる方がおかしいよ」

「……ごめん」

「何で佐為が謝るの?」

「……ごめん」


佐為が私の体を抱きしめてきた。

ぎゅっと…優しく。

恋人としての抱擁だった――


「一昨日の僕のせいだよな…」

「……」

「精菜と公式戦で戦うの初めてだったから、意識し過ぎてた。敵意剥き出しだったよな……ごめん」

「……私は佐為のライバルになりたいわけじゃないの」

「うん…」

「むしろ会える時くらい…囲碁のことを忘れたい。それって我が儘?」

「ううん…」

「今から明日の朝まで、佐為が囲碁を忘れて私のことだけ考えてくれるなら許してあげる…」

「分かった」


体を離した私達は、今度は手を繋いで一緒に駐車場に向かった。

車で向かう先はもちろん彼のマンションだ。

一昨日出来なかった恋人同士の時間を取り戻す為に――





「好きだよ精菜…」

「私も大好き…」



私の初めてのリーグ戦・初戦。

初めて恋人と公式戦で対局した夜。

いつも以上に甘い時間を過ごせて、私はベッドの中で

(こんな夜を過ごせるならまた佐為とリーグで対局してもいいかな…)

と、ちょっとだけ思い直したのだった――






―END―






以上、初めて公式戦で対局した二人の話でした〜。
初戦が本因坊リーグ戦だなんて、大舞台過ぎますね。
おまけに前期は挑戦まであと一歩のところで敗れてる佐為です。(『LOSE』参照で〜)
今期こそはと気合い入りまくりです。

交際して既に10年目の二人。
精菜の機嫌が悪い時はとりあえず「ごめん」と謝っておく佐為です(笑)
でも精菜との真剣勝負を望んでる佐為は内心は大して反省はしておらず、
(精菜と次対局する時はあからさまにしないようにしよう…)
とか
(扇子もいつものやつにしよう…)
とか、精菜を抱きながら、やっぱり囲碁のことを考えてるのでした〜w