●My BROTHER, My SISTER 〜番外編〜●
「そういえば進藤のお母さん…事故で亡くなられたみたい」
「…まぁ、そうなの…。お気の毒にね…」
「進藤さん、このあと少しいいかしら?」
アキラが二十歳になったバレンタイン。
私は料理教室の一人の生徒を、教室終了後に呼び止めた。
誰もいなくなってから、紙袋を差し出す。
「…これ、受けとって貰えませんか?」
「近衛先生、これは…」
「チョコレートです。今日はバレンタインですもの」
進藤さんが私の料理教室に来始めて、もう一年以上が過ぎていた。
その間、私と進藤さんはずっと「講師」と「生徒」の関係を保っている。
私は「進藤さん」と彼のことを呼んで、進藤さんは「近衛先生」と私のことを呼んで。
一度も私達の『過去』には触れていなかった。
「…ありがとうございます」
「あとこれも。息子さんに」
「ヒカルに?」
「ええ。棋士は頭を使う仕事ですもの。疲れた時には甘いものが一番でしょう?アキラさんもチョコレートは大好きなの」
「ありがとうございます。渡しておきます」
「……」
「……」
微妙な沈黙が私達を襲った。
「講師」と「生徒」の関係のままでは、ここで終わり。
「じゃあ…」
と私が言えば、
「はい、お疲れ様でした」
と彼は帰ってしまう。
でも、
「あの…このあと一緒にお食事でもいかがですか?」
と言うと……――
「はは、食事ですか?ちょっと今は入らないかなぁ」
「あ…そうですよね」
当たり前よね。
料理教室で作った料理をさっき食べたばかりなんだから…。
「カフェでもいいなら、いいですよ。それともバーの方がいいかな?お酒…確か好きでしたよね?」
「はい…大好きです」
アルコールは大好き。
大学の時から……正夫さんと付き合っていた時から…―――
「じゃあ、乾杯」
進藤さんに連れて来られたのは、御茶ノ水駅から数分の所にある小さなバーだった。
このバーに来るのは初めてではない。
リニューアルされてしまって当時の面影は全く残ってなかったけど、お店の名前だけは20年前と同じ。
そう―――ここは昔、正夫さんと一緒によく来ていたお気に入りのバーだ。
「どうして…ここを選んだの?」
「さぁ…どうしてかな。なんとなく、久しぶりに入ってみたくなったのかもしれない」
キミと。
と付け加えられる。
私は深呼吸をして、進藤さんの目をじっと見つめた。
お互い…老けたわね。
もう20年も経ったんですものね。
でも、私の気持ちはあの頃と変わっていない…――
「…さっきのチョコレート。義理じゃありませんから…」
「え?」
「この歳になって…また言うことになるとは思ってなかったけど…」
「……」
「私…あなたのことを忘れた日なんてなかった。もう一度……私と付き合って貰えませんか…?」
「明子…」
進藤さんが、ううん…正夫さんが、私のことを明子と名前で呼んでくれた。
あの時と同じように。
20年前と同じように。
あの時と全く変わっていない声色に、胸が締め付けられる……
「…奥様が亡くなられてもう三年なんでしょう?進藤君もアキラと同じで成人したし…世間的には新しい恋をしても何も問題ないと思うわ…」
「…そうだね」
「それとも、私のことなんてもう…何とも思ってないのかしら。それとも…あの頃からもう…心変わりしちゃってたのかしら…。だから…私は捨てられちゃったのかしら…」
「それは違うっ!!」
正夫さんが、店中に聞こえてもおかしくないぐらいの大声で否定してきた。
「それは違う……俺も本気でキミのことを愛していた。ずっと後悔していた。今も…後悔している。俺は……最低な男だ…」
私を傷付けて。
私を好きなまま結婚した奥様も傷付けて。
更に息子さんも…進藤君も傷付けたと、彼は後悔していた。
仕事にかまけて家庭を顧みない酷い夫…酷い父親だったと。
「…私も酷い女ですわ。あの人をずっと偽って…一方的に離婚も決めて…」
あの人の引退以来、ずっと悩んでいた私のこれからの人生。
正夫さんの奥様が…進藤君のお母さんが、事故で亡くなったとアキラから聞いたその日―――私の心が固まった。
最低だと思う。
正夫さんが自分の料理教室に来るようにも仕向けて、そんなに彼を手に入れたいのかしら。
ええ、手に入れたいわ。
だって…愛しているんですもの。
例え裏切られた過去があったとしても、今でもあなたを愛してる。
気持ちに嘘はつけない――
「正夫さんが好きです…。もう一度…私と付き合って下さい」
「明子…」
遠慮気味に正夫さんが抱きしめてくれた。
久しぶりのこの温もり。
彼の匂い。
胸が張り裂けそうになる。
「俺も好きだよ…ずっと。約束する。今度は絶対に裏切らない…」
「正夫さん…」
まだバーの中だということも忘れて私達は唇を合わせた―――
「やり直しましょう…一緒に。全部。最初から。きっとまだ間に合うわ…――」
それから約ニヶ月後、私は20年ぶりに妊娠が発覚する。
「結婚しよう」
とすぐさま彼は私にプロポーズしてくれた。
本当は20年前に言ってほしかった言葉。
「アキラさん、今度紹介したい人がいるのよ」
―END―
以上、明子さん視点でした〜。
正夫さんと明子さんのアラフォーラブを書いてみました(笑)
大学時代の二人を書いてもよかったんですが、そっちはものすごくドロドロになりそうだったので、やっぱ20年後の二人で。
とりあえずバーの店員さんは大・迷・惑☆
いい歳した大人が人前でいちゃいちゃはいけません。
ま、そんなこと気遣う余裕はなかったんだと思うけどね。
このあと、兄妹話・1話目に続くわけです。
(どーでもいい設定なんだけど、パパママ達の出身校が明治とか中央とか上智とか法政とかだと萌える…!あ、ちなみに明子さんは結婚の為中退しました)