●2×2  5●





33歳の時――オレとアキラは再び別居した。



いや、別居というか家出だ。

ある日突然、アキラが家に帰って来なくなったのだ。

『しばらく戻りません。子供達をよろしく』

という書き置きを残して――






「アキラさんたら、どこに行っちゃったのかしら…」

「今日棋院でアイツも対局のはずなんで、張り込んでおきます」

「お願いね」


いつもはアキラが子供達を保育園の送り迎えをしてくれる明子さんに毎朝預けに行く。

今は彼女がいないのでオレが代わりに塔矢家に送っていく日が続いている。


「ヒカルさんも今日の対局頑張って下さいね」

「ありがとうございます…」


明子さんの前では笑顔を取り繕ったが、内心は狼狽えまくりだった。


どこ行ったんだよアキラ?!

何があったんだよ?!

何でオレに何の相談もしないんだよ?!








棋院に着いたオレは、アキラの対局場である6階入口で張り込むことにした。


「あれ?進藤、お前5階じゃ…」

「うん、ちょっとな」


和谷に不思議そうに声をかけられる。

そう、オレは5階。

開始時間は同じだから、階段での移動を考えると、待っていられるのは2分前まで。

オレは時計とエレベーターを交互に見続けた。

10分前。

5分前。

4分…3分…2分30秒…


くそ、もう無理だ!と慌てて階段を掛け降りた。

ギリギリ間に合って、自分の席につく。

棋聖リーグ第5戦。

アキラの為に遅刻出来るほど、今日のオレの対局は生易しくないのだ。

持ち時間5時間。

あああ〜絶対アキラより長いよな。

もうどうすりゃいいんだよ?!


「「よろしくお願いします」」







オレの対局が終わって検討も終わった頃には、もう夜の8時を過ぎていた。

でも子供達を迎えに行かなければならない。

へとへとで少し休憩したかったが、駐車場に急ぐことにした。


「ヒカル」


と呼ばれる声に足が即座に止まる。

ロビーのソファーに腰掛けていたのは、会いたくて会いたくて会いたくて仕方のなかった奥様の姿だった。


「アキラ!!オマ…っ――」

「言いたいことは分かってる。ひとまず車に行こう」

「あ、ああ…」


二人で駐車場に止めてあるオレの車に乗り込んだ。

とりあえず発車させる。


「急にすまなかった……家を出ちゃって」

「マジで心配したんだからな?!どこに行ってたんだよっ!」

「一人で考えたかったんだ…、僕の人生について…」

「え…っ」


『人生』とかいういきなりの重苦しいキーワードに、オレは思わず急ブレーキ。

慌てて車を路肩に停めた。


「……オレと結婚したこと、後悔してるとか…?」


恐る恐る尋ねると、フッ…と笑われた。


「そうじゃない。僕の棋士としての人生だよ…」

「ああ…」


そっちか。

よかったよかった――じゃ済まされない。

彼女の戦績は今急降下中なのだ、あの名人のタイトルを奪取された2年前から――




「先月女流棋聖も落とした…。もう僕はどうすればいいのか分からないんだ…」


今日も負けてしまった。

それもまだ四段の十代の子に。


「情けなくて死にたくなる…」

「おいおいおい…考えすぎだって。誰にだってスランプくらいあるだろ?」

「……」

「それにオマエの今日の相手って小倉四段だろ?去年新人王取った奴じゃん。若手の勢いに推されただけだって」


オレだって負けちゃうかも〜と明るく言ってみたが、彼女の表情は変わらない。


「…環境が問題なのかもしれないと思ったんだ。だから家を出た」


独身の時みたいに一人でじっくり勉強すれば調子が戻るかもしれない。

そう思ってこの一週間ホテルに滞在してみたらしい。


「だけどこのザマだ。もう本当に駄目なのかも…」

「アキラ……」

「引退して主婦にでもなろうかな…」


養ってくれる?と涙目を向けてきた。

そりゃ…養うことは簡単だけど。

でもアキラが本当に待ってる言葉はここでイエスと言うことじゃない気がする。


どう答えようか悩んでいると、アキラがオレの耳元で

「僕の泊まってるホテルに来て…」

と囁いてきた。


「え、でも、オマエ、もう9時だぜ?子供達早く迎えに行かないと…」

「さっき母に電話しておいたから。ヒカルと話し合うから、今夜は子供達をお願いって…」

「そ、そうなんだ…」







アキラが泊まっていたのは汐留にある高層タワーの上層部を占めているシティホテルだった。

ロビー前を通ってエレベーターに向かったわけだけど、客層はほぼスーツを着た外国人。

日本語が聞こえなかった。

オレが4年前に家を出た時に泊まったビジネスホテルとは雲泥の差。

一泊いくらだよココ、×7泊で一体何十万だ??と計算してしまうオレがいた。

この金銭感覚、アキラには絶対主婦は無理だ…とも。



カチャ…


「ここだよ…」

と招かれた部屋からはネオン輝く東京タワーがバッチリ見えた。

「座って」

と案内されたのは、見事にテーブルに置かれた碁盤の前でガクッとなる。

え?打つの?この夜景にこの大きすぎるダブルベッドをバックに?


「Sだなオマエ…」

「何の話だ?それよりニギって…」

「へいへい…」


仕方なく碁笥を手に取った。





――あれ?




何か、忘れてたけど、プライベートで打つのって…


「久しぶりな気がする…」

「…そうだよ。僕らは結婚してからどころか、婚約してから一度も打ってないんだ…」


婚約って……25?

マジで??今33ですけど……


「一人でじっくり勉強しても駄目だった…。それで足りないものに気が付いたんだ。僕が一番強かったのはキミと婚約するまでの数年間。キミと付き合い出して、毎日のように会って打っていた時だと――」




――僕に足りないのはキミなんだ――




「アキラ…」

「だからもう一度僕と打ってほしい」

「打つよ、当たり前だろ!オマエが満足する碁が打てるまで何十局、何百局でも!」


婚約してからオレは自分のことしか考えてなかった。

早く三冠になりたくて、対戦相手になっちまうアキラを意識するばかり、公式戦以外で彼女と打たなくなった。

結婚してからはすぐ妊娠しちゃって、ずっと調子が悪くて家では石すら持てずほぼ寝ている生活。

産まれてからは子育てと仕事の両立にいっぱいいっぱいで勉強する時間が持てなくて。

二人目が産まれてからは更に忙しさに拍車がかかって。

その歪みが今来てるんだ――



「これからはまた毎日打とうぜ?きっとすぐまた勝てるようになる」

「うん……そうだね」

「オレが先番な?お願いします」

「うん、お願いします!」


お互い頭を下げた。



公式戦以外で久しぶりにアキラと打つ。

持ち時間無しの真剣勝負に腕がなった。


でも、いざ打ってみると全く落ちてない彼女の棋力に驚く。

このレベルで女流タイトル普通落とすか?

あまりの強さにオレの方が長考する時もしばしば。


「…いいのかヒカル」

「ん?」

「このペースだと朝になるよ」


せっかく二人きりなのに、ベッド使わなくていいの?――と囁かれてオレの心拍数は一気に上昇する。


「オ、オマエ、盤外戦とかマジで止めろよなっ」

「ふふ…」


既に勝利を確信しているアキラが余裕の笑みで笑ってきた。

未だに三冠のオレと満足いく内容の碁が打てて、コイツも少なからず自信を取り戻したみたいだった。



「はぁ…負けました」

「ありがとうございました」

「ありがとうございましたっ」


午前1時、オレは投了した。

完敗だ。


「やっぱオマエ強いな。次は絶対勝てるよ」

「うん、そんな気がしてきた」

「オマエに足りなかったのは自信だな。自信なく打ってるから途中でヘマするんだよ」

「キミのお陰で取り戻せた気がする。ありがとう…」


碁盤越しにチュッとキスされる――頬に。


「オマエなぁ…」


頬っぺはないだろ、と直ぐ様口にキスをし直した。

そのままベッドに押し倒して、オレらは何週間かぶりの逢瀬を朝まで楽しんだ――






「明子さん、ありがとうございました」


結局アキラの実家に子供達を迎えに行けたのは昼過ぎ。


「ママおかえり。おしごとながかったね」

という息子をアキラは直ぐに抱っこしてあげる。

「ただいま。もう大丈夫だからね」

垣間見たアキラの表情は、オレが大好きないつもの勇ましい彼女に戻っていた。


ちなみにアキラはそれからしばらく全勝を続け、女流タイトル奪還どころか、オレのタイトルも緒方先生のタイトルも片っ端からかっさらっていくのだった――







「キミと共に人生を歩めて僕は幸せ者だ」

「うん、オレも」


毎日アキラと碁盤を挟む。

一緒に家庭を築ける。

これ以上の幸せはないとしみじみ感じた――


「でも、次は負けねーからな」

「臨むところだ」












35歳の時――オレとアキラはどうなっているんだろう。


それはもうちょっとだけ先の話――






―END―








以上、2人の2年ごとの物語でした〜。
約4年ぶりにお話書きましたが、た、楽しすぎました…!!
何だこれ!ヒカアキラ子って最高じゃん!!
…と改めて感じました〜(笑)
後半になるにつれどんどん楽しくなってきて止まらない止まらない(´▽`)

リアルでは33歳の二人。
きっと立派な大人に成長してるんだろうなぁvv
一度くらい結婚しててほしいなぁ(笑)
今回はずーっとお互い二人だけの話にしてみましたが、いかがでしたでしょうか。
次はどんな二人を書こうかな〜♪と妄想が膨らみます(笑)